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名古屋地方裁判所 昭和44年(ワ)529号 判決

原告

谷沢和代

ほか二名

被告

鈴木章

ほか四名

主文

一  被告鈴木章、同合資会社加藤モータース、同加藤明、同福尾義行は、各自、

(一)  原告谷沢誠一に対し、金三八万三、六八七円及びその内金三六万三、六八七円については昭和四四年三月六日以降、内金二万円については本判決言渡の翌日以降、各支払済に至るまで年五分の割合による金員、

(二)  原告谷沢繁子に対し、金一一万三六八七円及びその内金九万三六八七円については昭和四四年三月六日以降、内金二万円については本判決言渡の翌日以降、各支払済に至るまで年五分の割合による金員

を支払え。

原告谷沢誠一、同谷沢繁子の、右被告等に対するその余の請求及び被告加藤茂市に対する請求を棄却する。

二  原告谷沢和代の請求を棄却する。

三  訴訟費用中、原告谷沢誠一、同谷沢繁子と被告加藤茂市との間について生じたものは右原告等の負担とし、その余の被告等との間について生じたものは、これを二〇分して、その一を同被告等の連帯負担とし、その余を同原告等の負担とし、原告谷沢和代と被告等との間について生じたものは同原告の負担とする。

四  この判決は、原告谷沢誠一、同谷沢繁子の各勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

一  申立と主張

原告等の申立と主張は別紙(一)、被告鈴木のそれは別紙(二)、その余の被告等のそれは別紙(三)のとおりである。

二  証拠関係〔略〕

理由

一  (交通事故の発生)

請求原因三の事実中、その日時場所で、被告福尾運転の第一原因車(以下A車という。)が谷沢健治に接触し、被告鈴木運転の第二原因車(以下B車という。)によつて右健治が死亡するに至つたことは当事者間に争いがない。

二  (事故の原因)

〔証拠略〕を綜合すれば、つぎの事実が認められる。

本件事故は、昭和四三年一〇月一二日午後五時四五分頃、岡崎市伊賀町字南郷中一三番地先の県道名古屋・岡崎線(旧国道二四八号線)上で発生した。現場附近の状況は別紙図面のとおり(X1がA車との接触地点、X2がB車との衝突地点を示す。)で、右県道が南北に通じ、西に岐れる東西道路があり、横断歩道の標示が施されており、その両側、県道の東・西側端に横断歩道の標識が立てられている。路面は舗装、平坦で当時乾燥しており、附近は商店、一級住宅等が両側に立ち並ぶ市街地で、この地域では速度制限四〇キロメートルの交通規制がなされていた。交通は頻繁、見通しはよく、夜間も広告灯でやや明るいところである。

被告福尾は、普通乗用自動車(長さ四・〇一メートル、幅一・四九五メートル、高さ一・三九メートル、オイル式前後輪制動、助手席に座喜昧清が同乗、以下A車という。)を運転し、右県道を南から北へ向つて通行して来た。本件衝突地点の手前約五〇メートルのあたりまで来たとき名鉄バスが停留所で乗客を乗降させるため停車していたので、同被告はその右側を追抜いて通行した。そのときの速度について、甲第一五号証(福尾義行の供述調書)には時速約四五キロメートルであつたというところがあるけれども、A車の残したスリツプ痕の長さが一四・六メートル(右輪)であること及び甲第一二号証(実況見分調書)における実験結果の記載並に甲第一六号証(福尾義行の供述調書)を綜合すれば、時速約五〇キロメートル程度のものであつたと認められる。当時は一〇月中旬の午後四時四五分頃で、同被告は前照灯を遠目にして進行していた。本件横断歩道の手前にさしかかつたとき、同被告は左前方約一四・二メートルの距離に、右横断歩道上北寄りを駈け足で西から東へ横断している人影(それが本件被害者谷沢健治、当時一三才であつた。)を発見した。発見と同時に、同被告は「危い」と思い、急ブレーキを踏み、ハンドルを右へ切つたが間に合わず、別紙図面X1の地点でA車の前部右側が健治に衝突し、同人はA車のボンネツトにすくい上げられて、別紙図面X2の地点に頭から転落した。X2は対向車線上で、センターラインから約一・三メートルの地点であり、健治は頭部を南に向けて路面上に倒れた。A車は衝突地点からなお約六・八メートル進行して停止した。同被告は、後方からバスが進行して来ていたのでその進行を妨げないようにと、A車を右県道東側にある昌光律寺の入口の空地に移動させ、同乗していた座喜昧清と共に被害者の救護に行こうとした。そのとき、右県道を一台の普通乗用自動車(それが被告鈴木運転の自動車であつた、以下B車という。)が南行車線を北から南へ向つて進行して来た。

被告鈴木は、B車(長さ四・六八〇メートル、幅一・六九メートル、高さ一・四五五メートル、オイル式前後輪制動)を運転し、右県道を北から南へ向つて進行して来た。時速約四〇キロメートルの速度であつた。同被告は前照灯を近目にして進行していた。本件衝突地点X2の手前約五・九メートルの距離へ来たとき、同被告はB車の進路上に人のようなものが倒れているのに気付いた。直ちに減速したところそれが人であることが判つたので、同被告は急ブレーキを踏んだがその時すでにB車の右前輪は被害者健治の体に乗り上げており、B車は右轢過の地点(X2)からなお約三・九メートル進行して停止した。当時、同被告が前方をよく注視してB車を運転しておれば右被害者の倒れていることを発見できる距離は約二六・九メートルであつた。

被害者谷沢健治(当時一三才)は、右県道の西側、外側線の外側を南から北へ向つて駈けて来た。そして、本件横断歩道の西端まで来て一度立止り、右手を上げて駈け出して右横断歩道を西から東へ渡ろうとした。同人が駈け出すや南方からA車が進行し来り、横断歩道を約三・三メートル東へ行つた別紙図面Xの地点で、A車の前部右側が同人に衝突した。同人が横断歩道内へ駈け出すに当り、右手は上げていたけれども、左右の安全を確認したとの形跡はない。

右のA・B車との衝突・轢過により、健治は肺臓破裂、骨盤骨折の障害を負い、翌一〇月一三日午前四時四五分頃岡崎市所在の長坂記念病院で死亡するに至つた。

以上の事実が認められる。

右認定の事実によれば、本件事故は、被告福尾の過失、即ち同人の速度制限違反、前方注視義務違反と被告鈴木の過失即ち同人の前方注視義務違反並に被害者健治の過失即ち同人の左右安全確認の義務違反が競合して発生したものと認めるのが相当である。而して、その過失割合を勘案するに、前示認定のすべての事情を斟酌すると、そのうち被害者健治の過失が占めるものは一〇%と認めるのが相当である。

三  (責任の帰属)

(一)  被告加藤章

〔証拠略〕によれば、同被告はB車を自己のために運行の用に供していたことが認められる。そうすれば同被告は自賠法第三条により被害者健治が死亡したことによる損害を賠償すべき義務がある。

(二)  被告合資会社加藤モータース

〔証拠略〕によれば、被告会社はA車を自己のために運行の用に供していたことが認められる。そうすれば、被告会社は自賠法第三条により、被害者健治が死亡したことによる損害を賠償すべき義務がある。

(三)  被告加藤明

〔証拠略〕によれば、同被告はA車の運転手福尾の使用者、合資会社加藤モータースに代り、現実にその事業を監督していたことが認められる。被告福尾は後記のとおり民法第七〇九条により本件事故による損害を賠償すべき義務がある。そうすれば、被告加藤明は民法第七一五条第二項により、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

(四)  被告加藤茂市

原告等は、同被告が民法第七一五条第二項により、本件事故による損害を賠償すべき義務があると主張する。然しながらその事実を認めるに足る、証拠はない。

(五)  被告福尾義行

前示二の事実によれば、同被告は民法第七〇九条により、本件事故による損害を賠償すべき義務がある。

四  (損害)

〔証拠略〕によれば、つぎのとおりに認められる。

(一)  亡健治の分

(イ)  逸失利益

同人は、本件事故当時一三才の健康な男子で愛知教育大学付属岡崎中学校一年生であつた。本件事故なかりせば、同人は二二才には大学を卒業し、職業に就いて少くとも六三才に達するまで継続して収入を得べかりしものと推定される。日本統計年鑑第二〇回、二七九表によれば、昭和四三年の新制大学卒業者男子労働者の全企業平均月額給与は金三万〇、六〇〇円である。右のうち同人の生活費と費消さるべきものは金一万五、三〇〇円(五〇%)と認めるのが相当である。そうすれば、同人の逸失利益の額はつぎのとおりになる。

30,600円×(1-0.5)×12×21.9704(41年のホフマン係数)×0.6896(9年の現価係数)=2,781,684円

右金額について、さきの認定割合による過失相殺(一〇%)とすれば、そのうち請求し得べきものは金二五〇万三、五一六円となる。

(ロ)  慰謝料

本件に顕れた一切の事情を斟酌し、金九〇万円と認めるのが相当である。

(相続)

右(イ)(ロ)の合計は金三四〇万三、五一六円となるところ、この債権は同人の死亡により原告誠一、同繁子に各二分の一、即ち金一七〇万一、七五八円宛相続された。

(二)  原告誠一の分

(イ)  慰謝料

本件に顕れた一切の事情を斟酌し、金九〇万円と認めるのが相当である。

(ロ)  葬儀関連費用

原告が支出した通夜、納棺、葬儀、火葬、精進落し、香典返し、墓地費用につき金三〇万円の限度で相当と認める。

(過失相殺)

右金額について、さきの認定割合による過失相殺をすればそのうち請求し得べきものは金二七万円となる。

(三)  原告繁子の分

慰謝料

本件に顕れた一切の事情を斟酌し、金九〇万円と認めるのが相当である。

(四)  原告和代の分

原告は、兄弟姉妹として慰謝料を請求するが、本訴においてこれを認むべき証拠はない。

(五)  損益相殺

以上によれば、その債権額は、

原告誠一が 金二八七万一、七五八円

同繁子が 金二六〇万一、七五八円

となるところ、これ等の損害について右原告等が自賠責保険より各金二四八万〇、五七一円、被告鈴木から各金二万七、五〇〇円の支払をうけていることは原告等の自認するところであるから、これを控除すれば、残額はつぎのとおりになる。

原告誠一 金三六万三、六八七円

同繁子 金九万三、六八七円

(六)  弁護士費用

右原告等が本件訴訟の遂行を弁護士に委任していることは記録上明らかである。而して、本件訴訟の経過、内容、認容額その他諸般の事情を考慮すれば、右原告等が支払う弁護士費用のうち損害賠償として請求し得べきものは各金二万円と認めるのが相当である。

五  (結論)

以上の次第であるから、本訴請求のうち、原告和代の請求及び被告加藤茂市に対する請求は、いずれも失当として棄却すべきであり、その余の原告等の請求は、その余の被告等に対し、各自、原告誠一については金三八万三、六八七円及びその内金三六万三、六八七円につき昭和四四年三月六日以降内金二万円につき本判決言渡の翌日以降、各支払済に至るまで年五分の割合による法定遅延損害金、原告繁子については金一一万三、六八七円及びその内金九万三、六八七円につき昭和四四年三月六日以降、内金二万円につき本判決言渡の翌日以降、各支払済に至るまで年五分の割合による法定遅延損害金の支払を求める限度においては正当として認容できるけれども、その余の部分は理由がないので失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担については、民訴法第八九条、第九二条本文、第九三条第一項本文、但書、仮執行の宣言については同法第一九六条第一項に従い、主文のとおり判決した。

(裁判官 藤井俊彦)

別紙(一) 請求の趣旨

被告等は、各自原告等に対し、左記金員及びこれに対する昭和四四年三月六日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え。

原告谷沢誠一に対し金五、七八二、三二六円

原告谷沢繁子に対し金四、五七七、五五〇円

原告谷沢和代に対し金五五〇、〇〇〇円

訴訟費用は被告の負担とする。

との裁判並びに仮執行の宣言を求める。

請求の原因

一 被告合資会社加藤モータースは、小型四輪乗用車(以下第一原因車という)を所有し、これを自己の為運行の用に供しており、且つ被告福尾義行を自己の業務である自動車修理業の為雇傭しているもの、被告福尾義行は右述のとおり、被告合資会社加藤モータースに雇傭されてその業務に従事しているもの、被告加藤茂市、同加藤明は被告合資会社加藤モータースの無限責任社員であつて、右会社にかわつて被告福尾義行を監督するもの、被告鈴木章は四輪乗用車(以下第二原因車という)を所有し、これを自己の為運行の用に供しているものである。

二 原告谷沢誠一、同谷沢繁子は夫婦であり、原告谷沢和代及び訴外亡谷沢健治はその間の子供である。

三 被告福尾義行は、昭和四三年一〇月一二日午後五時四五分頃、被告加藤明方の業務に従事して、第一原因車を運転し、岡崎市伊賀町南郷中一三付近国道二四八号線道路を北進中、前方に対する注意を怠つた過失により同所にあつた横断歩道を横断中の亡谷沢健治に第一原因車を接触させて、同人を転倒させたところ、同じく同所道路を南進中の第二原因車の運転者たる被告鈴木章も前方に対する注意を怠つた過失により、右転倒した亡健治の発見がおくれ、且つ自車を適切に運転して亡健治との接触を避ける操作を行なわなかつたことにより、第二原因車によつて転倒中の亡健治をひいたが、右二重事故によつて亡健治は右肺破裂、骨盤骨折の重傷を負い、医師による手術の効もなく、翌一三日午前四時四五分頃死亡するに至つたものである。

四 右事故によつて亡健治及び原告等の蒙つた損害は次のとおりである。

(一) 亡健治分 計一〇、一五六、七〇八円

(イ) 逸失利益 金八、一五六、七〇八円

亡健治は、死亡当時満一三才六ケ月の健康な男子で、愛知教育大学付属岡崎中学校一年生であり、本人の能力及び家庭環境よりみれば、確実に相当なる大学進学が可能であり、又父親の職業(自ら経営する谷沢消防被服製造株式会社常務取締役)をついで、相当高額の所得をあげられることが予想されるのであるが、本訴に於ては別表のとおり同人が満二〇才より満六五才(平均余命の範囲内にして労働可能期間)に達する迄の間、統計による一般平均人の予想収入を基礎とし、その三分の一を生活費として控除し、その残額から年五分による割合の中間利息をホフマン式方法によつて控除した現価を亡健治がその生涯に於て得べかりし利益として請求するものである。その内、右金八、一五六、七〇八円の限度を訴求する。

(ロ) 慰藉料 金二、〇〇〇、〇〇〇円

亡健治は家庭環境、能力、健康に恵まれ、一人息子として両親の愛情を一身に集め、将来を深く嘱望されていたのであり本件事故の如く、自らは交通法規を遵守しながら輪禍に倒れた同人の精神的苦痛はいう迄もなく、その慰藉料として頭書の金員を請求する。

(二) 原告谷沢誠一分 計三、一三二、五一一円

(イ) 慰藉料 金一、五〇〇、〇〇〇円

同原告は、谷沢消防被服製造株式会社の常務取締役として、社会的地位にも経済的にも欠けるところはなく、一男一女の父として子供の成長を楽しみにして円満な家庭を築いていたところ、本件事故によつて一瞬のうちにあととり息子たる亡健治を失つたもので、その精神的苦痛は余りあるものがありこれを慰藉する為、頭書の金員を請求する。

(ロ) 葬儀関連費用 金一、〇八六、一六〇円

亡健治の葬儀に関連して同原告の支出した出費にして、その明細は左のとおりである。

(a) 通夜、納棺、葬儀、火葬費用 金二四九、六〇〇円

(b) 精進落し費用 金一一八、四八〇円

(c) 香典返し費用 金二〇九、〇八〇円

(d) 墓地費用 金五〇九、〇〇〇円

(ハ) 訴訟費用 金五九八、三九三円

本訴の着手金として原告代理人に支払つた金八万円也及び成功報酬として支払うべき最終請求額(第七項参照)の一〇%の割合による金員の合計

(三) 原告谷沢繁子分 計一、九二七、八三五円

(イ) 慰藉料 金一、五〇〇、〇〇〇円

原告谷沢誠一の妻であり亡健治の母であることの外は、原告谷沢誠一について述べたのと同一である。

(ロ) 訴訟費用 金四七九、七七七円

本訴の着手金として原告代理人に支払つた金七万円也及び成功報酬として支払うべき最終請求額(第七項参照)の一〇%の割合による金員

(四) 原告谷沢和代分 計五五〇、〇〇〇円

(イ) 慰藉料 金五〇〇、〇〇〇円

たゞ一人の弟を失い、将来扶け合うべき兄弟もなくなつた同原告の精神的苦痛を慰藉する為、頭書の金員を請求する。

(ロ) 訴訟費用 金五〇、〇〇〇円

原告代理人に支払うべき一〇%の割合による成功報酬である。

五 亡健治の被告等に対する損害賠償請求権は、同人の死亡により、各二分の一の割合で原告誠一、同繁子に相続された。

六 本件事故については、第一、第二原因車の強制保険によつて、金四、九六一、一四一円が原告誠一、同繁子に給付されたので、右両原告の請求額より各二、四八〇、五七一円を控除する。なお、原告等は被告鈴木から金五五、〇〇〇円を受領した。

七 しかるときは、訴訟費用を別にした請求(最終請求額)は、原告誠一については金五、一八三、九三三円、原告繁子については金四、〇九七、七七三円、原告和代については金五〇〇、〇〇〇円となり、右金額を基礎として成功報酬が算出される。

八 被告等の帰責原因は次のとおりである。

(イ) 被告合資会社加藤モータース 第一原因車の保有者兼被告福尾義行の使用者

(ロ) 被告福尾義行過失による不法行為

(ハ) 被告加藤茂市、同加藤明 民法第七一五条第二項の代理監督者

(ニ) 被告鈴木章 第二原因車の保有者

九 よつて、原告等は被告等に対し、請求の趣旨記載の金員及び被告等がその支払につき遅滞にあること明らかな本訴状送達の日の翌日から完済迄民法所定の年五分の割合による金員の支払を求める為、本訴請求に及んだものである。

原告等の見解

一 本件訴訟における最大の争点は、逸失利益の確定問題であることはいう迄もない。そこで、原告は、本書面において、未成年者が死亡した場合の逸失利益の算定について、原告の見解を明らかにする。

二 我国においては、伝統的に、死者の生命の価値は、慰藉料と逸失利益の総和としてとらえられてきたことは、周知の事実である。これに対し、生命の値打ちそのものを把握しようという考えがなかつた訳ではないが、少くとも判例としては、そのような考え方をとつたものはなかつた。逸失利益の算出については、収入の把握、その確実性、控除すべき項目とその確実性、その他について強い疑問があり、より正確な計算を行なおうとする程(例えば家族の年令構成の変更により生活費のウエイトを変更するような計算方法)、計算方法の緻密さに反比例して、白々しさというか、反真実性が浮び出てくるのをどうしようもないのである。これはだれしもが考えることであろうから、より正確な計算を求める思考方法は、ある限界に達したとき、計算を拒否する方向へ大転向するのではないかと考えるのであるけれど、現時点においては、必要悪として、逸失利益の算出という怪物と取りくむ外はないのである。

三 もつとも、歴史的な観点から見た場合、逸失利益の算定ということが、生命の価値の算出について大きな役割を果してきたことは、むしろ称讃に値する。特に、自賠責開始以前においては、死亡に関する慰藉料が余りにも低くすぎたことは、我国の後進性を表現するものとの弁解はあるにせよ、法律家すべてが恥とすべきものであつた。

その反面、逸失利益の概念は、それが資本主義社会にあつては否定することのできないものであつたから、容易に裁判の中にとり入れられたのであり、少くとも自賠責発足以前にあつては、逸失利益によつて生命の価値がカバーされてきた感が強いのである。

四 ところで生命の価値は、逸失利益と慰藉料の総和であるとの伝統的思考方法に立つとき、生命の価値をより高いものとして考えようとの社会的要求があつた場合、伝統的な思考方法はどう対処できるであろうか。考えるまでもなく、逸失利益の計算方法は、固定的なものであり、それ自身には発展的要素は少い。従つて、慰藉料の増加によつて、総和を大にするより外はないのである。

事実は、自賠責の増加に伴い、裁判所の認定する慰藉料額は飛躍的に増大した。こゝにおいて、慰藉料と逸失利益はようやくバランスがとれたものになつた。従来、生命の価値の最下限を保証し、最低線の歯止めとなつていた逸失利益の算定は、相対的にその地位を下落させることになつたが、これは生命の価値そのものを直接とらえようとする方向への一進歩として把握さるべきものである。

五 ところで、本件のような少年の死亡に際しての損害額に関する現状はどうであろうか。直感的に考えても、一〇才を越えた健康な少年の生命が一〇〇〇万円を下廻るということはあり得ないところであろう。もし一〇〇〇万円を下廻るとすれば、生命の尊厳も、人権の尊重も、すべては言葉だけのものであると感じるのは、原告のみであろうか。もし、本件のような事案で、一〇〇〇万円の直感が社会的に妥当であるならば(原告はそれを信じて疑わないが)、考えられる限りの技術がその目的の為に利用さるべきである。或は慰藉料を増加させ、或は逸失利益をより有利に算出することによつて、その目的を達すべきである。原告の主張は、右のような観点に立つ。そして、以下においては、慰藉料が一家族三〇〇万円乃至四〇〇万円と認定される現状を踏まえ、より正当な逸失利益の算出を主張するものである。

六 本論に入いる。

さて、交通事故の増大により、未成年者の死亡事故も多発し、その損害額の確定について多くの考え方が斗かわれていた折、最高裁は昭和三六年(オ)第四一三号事件判決(昭和三九年六月二四日判決、判例時報三七六号所収)において、極めて注目すべき判示をした。即ち、右事件は、死亡時満八才の男子について、三五ケ年間の全稼動期間を通じ、通常男子の平均的労働賃金である年二四万円余の所得を主張したものであり、原審はこれを認めたが、最高裁は、初任給から右平均収入ありとするのは不合理であるとして、右主張を却けたのである。吾人の経験からしても、給与所得は、一般的には初任給(通常全労働期間を通じて最低である)から開始して徐々に増加し、五五才程度に達すると、定年、再就職等により徐々に減少するものである。従つて、右判示は、理論的には正当というべきである。

但し、右判決は、理由中において「被害者等がいかなる職業につくか予測し得ない本件の如き場合においては、通常男子の平均労賃を算定の基準とすることは、将来の賃金ベースが現在より下らないことを前提とすれば、一応これを是認しないでもないが、収入も一応安定した者につき、将来の昇給を度外視した控え目な計算方法を援用する場合とは異り、本件の如き年少者においては云々」と判示し、平均賃金を何らかの形で利用することは是認しつゝ、将来の昇給について消極的な考え方を展開しているのである。

しかしながら、右判決は、一般的に将来の昇給を否定したものとは受け取られず、むしろ、確実な証拠によつて、控え目な判断の下になされるならば、若年の未就職者についても将来の収入につき逸失利益が算定できるものと理解され、以後下級審判例は、何が確実な証拠であり、何が控え目な線であるか、又社会的に妥当な数字は何かを探求する努力を始めることになつたのである。

七 その後の判例の変移を見ると、収入の根拠としては、賃金センサスを使用する例が極めて多い。右統計は、統計の主体、規模(人的、地的)から考えて、現在にあつては最も一般性、信頼性において優れている。

ところで右統計は、年令別に収入の統計をとつているので、右統計を採用した場合においても、どの数字を利用するかについて問題が生じるのである。

この点に関する判例の動向については、当庁におかれても熟知のことゝ思料するが、敢えて付言するならば、(イ)右統計そのまゝに収入の変動を認めるもの(別図(B)線)、(ロ)一定値とするが、年令別収入のうち最低のものをとるもの(別図(D)線)、(ハ)平均収入をとるもの(別図(C)線)、(ニ)(C)と(D)との中間で妥当な定額を求めるもの(別図(E)線)に分類できるのである。

八 ところで、賃金センサスの信用性を前提とする限り、ある年令の収入についての統計を信じながら、他の年令の収入を否定することは自己矛盾であつて、右統計を信じる以上、(イ)の考え方を否定すべき根拠はない。従つて判例時報五二二号所収釧路地裁帯広支部昭和四一年(ワ)第二一三号事件判決や、判例時報六五九号所収盛岡地裁判決の認定は、極めて正当なものと考える。

(ロ)説は、理論的に矛盾があると共に、社会の実体から著しく離れており、且つ又、その離れ方が加害者に一方的に有利であつて、承服し難いものがある。勿論、より確実さを求めていけば、最低の線をとらざるを得ないであろうが、そこまで加害者に有利に配慮する必要があるであろうか。(判例時報五六四号所収事件欄参照)

(ハ)説については、前記最高裁の判断で否定されているにもかゝわらず、具体的解決についての妥当性、計算の単純さから、ひきつゞき同旨の判例が散見される。(判例時報五五〇号、六五四号所収事件欄参照)

(ニ)説は、最高裁が指摘した矛盾(即ち別図(X)(Y)(Z)で囲まれた三角形の部分が社会通念に違反するとの指摘)を克服する為、その矛盾を無視し得る限度に(X)を求め、社会通念との妥協をはかろうとするものである。

例えば、判例時報四一五号所収事件は、(X)点を二〇才乃至二四才時の平均賃金に求め、判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕二一六号所収大阪高裁昭和四二年一二月二二日判決は、三〇才時における収入が一八才より六〇才迄継続するものとする理論的に考えた場合、若年の間は統計上の収入より上廻る点に難点はあるが、訴訟の対象が個々の年度の収入ではなく、全労働期間を通じての収入であると考えれば、別図の真実の収入とされる線又は統計の線の下側の面積より、(X)の下側の面積の方が少であることが確実であれば、(X)の下側の面積をもつて、確実に立証された逸失利益であると認定することは、充分可能であろう。(但し、ホフマン計算の問題があるので、単純な面積の対比のみで済むというものではない)

尚、折衷的に、統計を利用しながらも(イ)のような多段階をとらず、二〇才から二四才迄は二〇才時の、二五才から二九才迄は二五才時の、三〇才以上五九才迄は三〇才時の、それぞれの収入を基準とする判例もあつた記憶であるが、これも又、一つの考え方であろう。

九 以上の四説については、それぞれ長短があるが、(ロ)説のみは余りにも衡平を欠いており、承認しえないものがある。

(ハ)説は、理論的には無理があるが、単なる逸失利益の算出ではなく、生命の価値そのものへのアプローチと解すれば、現在においても立脚点を失つてはいないと思われる。(イ)説は、理論的な精緻さが却つて弱点になつているようであるが、現段階における伝統的損害額算定方法に従う限り、且つ人命の高額化に対して社会的な正当性を認める限り、これを拒否すべきなにものもない。

(ニ)説の定額計算方式に対しては、(イ)説と(ハ)説の折衷として、その実用性が追求さるべきであると考えるが、その場合特に考慮すべきは、結論が(イ)説の数額と大幅に違つてはならないということである。別図で明らかなように、最終的に目標とさるべきものは、疑もなく真実と想定される曲線の下側の面積である。従つて、証拠の性質、計算の方法は、右面積にもつとも近似する数字を引き出すのに適したものを選ばなければならない。定額化は、単なる計算の簡易さや、証拠の安易な選択から導かれるものではない。それは、逸失利益の算出の為の永年の研究が、生命の高額化という指導理念の許容する範囲内で結実したものであらねばならず、これによつて加害者が従来より有利となる面があつてはならないものと確信する次第である。

被告等の主張について

一 過失相殺の主張に対し、

(イ) 本件事故の状況に関する全被告の主張はすべて争う。

(ロ) 被告福尾車としては、横断歩道に接近した際、何人が、いつ、横断歩道に入つてきても安全に対処しうるような態様で接近すべき法律上の注意義務があり、右注意義務違反と前方不注意、及びスピードオーバーの競合によつて、本件事故を発生せしめたものであつて、その過失は一方的である。

(ハ) 右事実に照らせば、亡健治の過失の割合を三割という被告等の主張が示当であること自ら明らかである。

(ニ) 尚被告福尾は、亡健治と接触後、直ちに同人に対する救助を行わず、まず自車を移動させたものであつて、この時間的空白によつて、更に第二原因車による加害行為を誘発したものである。

右過失も又、重大な過失というべきものである。

二 少年の逸失利益の賠償は、既払養育費及び扶養期待権の填補を実質的目的とする主張するが、右主張は当を得ないものと考える。右のような考え方は、親の立場或は家を基礎とした思考方法であり、到底現代の思考方法とは相容れぬものである。

なる程、未成年者を残して親が事故死した場合の経済的悲惨さにひきかえ、子供が死亡した場合、経済的には親は何ら苦痛を蒙らないことは事実であるが、それだからといつて、将来の逸失利益の算定につき、このような違いを考慮に入れる根拠は全く存在しないのである。もし被告主張が「子の死亡により親の失なうものは少ない」というのであれば、それは個人の尊厳よりも、親に対する子の従属性を強調するものであり、又えい児殺に対し比較的寛大な社会的風調と基礎を一にするものとしての批判を免れないものと考える。

むしろ、人の生命そのものゝ価値を考えるならば、将来より永く生命力を行使しうる若年者ほど生命の価値は高いというべきであり、損害額の算定についても、右事情を反映させるような何らかの考慮が払われて然るべきものと考える。

(イ) 賃金センサスによる将来の所得の変動について、被告は右証拠の証明力を争つているが、原告は、賃金センサスにより、所得の変動は十分立証できたものと考える。原告の場合、能力的にも経済的にも、普通以上の地位にあつたことが明らかであるが、敢えて平均人の立場に立つて請求しているのである。

(ロ) 養育費、教育費の控除については、右支出は、法律上将来の所得と損益相殺の関係に立つものではないから、これを否定すべきである。

(ハ) 中間利息の問題については、ライプニツツ方式はまだ判例上定着しておらず、且つ右方式を利用せる結果、未成年者の場合、結論としての生命の価値は著しく減少し、その結果は不当というべきものであると考えるので、右主張は争う外ない。

別紙(二) 請求の趣旨に対する答弁

一 原告らの被告鈴木章に対する請求を棄却する。

一 訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決を求める。

請求の原因に対する答弁

一 第一項中被告鈴木に関する主張を認める。その余は不知。

二 第二項認める。

三 第三項中、被告福尾義行が昭和四三年一〇月一二日午後五時四五分頃第一原因車を運転し主張にかゝる道路を北進中(亡)谷沢健治に第一原因車を接触させて同人を転倒させたこと、被告鈴木が右同所を第二原因車を運転して前進中第二原因車によつて転倒した同人をひいたこと同人が主張の如き傷害によつて主張の日に死亡したことは認めるが、その余は全て否認する。

四 第四項全部否認する。

五 第五項認める。

六 第六項争わない。

七 第七項否認。

八 第八、九項争う。

被告の主張

一 (亡)健治は、道路西側を北方に向け走行し、横断歩道直前において何ら路上の安全を確認することなくそのまゝの速度で道路西側から斜めに横断を開始し、被告福尾運転の車両直前に飛び出したかたちで事故に逢つたものである。横断歩道上の衝突ではあるが、横断の仕方に重大なる過失を有するもので、このような場合横断歩道上に一旦停止し走行車両の有無を確認し、若し走行車両があるときは、運転手に対し横断を開始することを覚知せしめ、それに伴う減速停止の措置をとらせる時間的余裕を与えねばならない。このことは横断歩道について道路交通法が運転手に対し徐行義務を課していないことから考えても当然のことであろう。被告鈴木は仮定抗弁として過失相殺を主張する。

二 本件事故について作成された実況見分調書は左の誤りが存しこれを過失認定の資料とはなし得ない。

(一) 甲第一一号証二枚目の交通事故発生現場見取図には最初に被害者を発見し得た地点の指示が記載されているが、右地点を確定するに当つて、内第二号証に記載されているとおり、路上に転倒した人間の替わりに黄と黒にしま模様に塗りわけた円推形の標識柱を置きこれによつて発見し得た地点の確認をなしている。

(二) 甲第一三号証は、事故当時横断歩道を照射する水銀灯を用いた街路灯が無かつたにもかゝわらず、実況見分時には設置されていた右街路灯に点灯してなされた実況見分であり、現場の状況が全く異るものである。また右に際し用いられた方法は丙第一号証記載の如く人間の歩行速度で現場に近ずき且つ検査地点で停止して転倒した人間の確認をなしたものである。事故発生時の状況とは著しく異る。

(三) 右は最初に発見し得た地点の確認の方法に誤りがあるばかりか、被告鈴木の進路前方には何の障害物もなく転倒した人間を発見し得たという前提に立つている。本件事故は被告福尾の車両があたかも右折する車両のように道路中央から東側車線にかけて停止し、しかるのちに被告鈴木の車両直前を横切つているので、被告鈴木は福尾の車両が障害物となつて被害者を発見することができなかつたものである。このような事情は右実況見分時には前提とされていない。

別紙(三) 請求の趣旨に対して

一 原告等の請求はいずれも棄却する。

二 訴訟費用は原告等の負担とする。

右趣旨の判決を求める。

請求の原因に対して

一 第一項に対して

第一項中「被告福尾を自動車修理業の為雇傭しているものであること」「被告加藤茂市、同明が無限責任社員であること」を認め、その余を争う。

原告主張の車両は被告福尾の友人である訴外大竹泉の所有に属するものである。又、無限責任社員たる被告加藤が、民法七一五条の監督代行者であるとの原告主張を特に争う。

二 第二項は不知。

三 第三項中

被告福尾が、原告主張日時場所において、第一原因車を運転していたこと、及び亡谷沢健治に同車両を接触させたこと、並びに第二原因車の前方不注意により亡健治が死亡したことを認め、その余を争う。

本件事故は専ら亡健治の直前斜横断の過失と、第二原因車運転手鈴木の前方不注意の過失の競合によつて生じた事故である。

四 第四項は全部争う。

特に逸失利益の算定基礎を争う。又慰藉料の額並びに葬儀関連費用は著しく不当である。

五 第五項以下は全て不知。

被告等の主張

第一 過失相殺の主張

本件事故は、被告福尾義行の過失もさることながら、(一)亡健治が横断歩道上とはいえ、左右の安全を確認することなく被告福尾車の直前を駆け足にて横断し始めた過失、及び(二)右事故発生後、自車進路上に倒れている亡健治を容易に発見し得たにも拘らず、前方不注視のまゝ進行した被告鈴木章の過失、の競合により発生したものであるから、右亡健治の過失を斟酌するならば、全損害の三割を過失相殺し残りの七割を被告ら全員が連帯して負担すべきである。

一 本件事故現場の状況

本件事故の発生した現場は、国道二四八号線(幅員一〇メートル・制限速度四〇キロメートル)岡崎市伊賀町字南郷中一三番地先路上であり、右現場には横断歩道が設けられていた。

右横断歩道付近には、当時は水銀灯はなく、えびす屋の前(甲第一三号証・実況見分証書添付図面Ⅲの地点)に四〇Wの螢光灯がついていたのみである。

二 事故の状況

(一) 第一原因となつた事故の状況

(Ⅰ) 被告福尾は、昭和四三年一〇月一二日午後五時四五分頃、友人の座喜昧清を同乗させ、時速四〇キロメートルにて右現場道路を南進していた。

当時はすでに薄暗く、被告福尾は前照灯を遠目にしていた。

被告福尾車が、右横断歩道の手前五〇メートル位にある八幡社前バス停にさしかかつた時、右バス停にはちようど名鉄バスが停車し、乗客の乗降の取扱いをしていたので、被告福尾は通路をやや中央に寄せて右停車中のバスを追い抜いた。

被告福尾車が横断歩道の手前三二・一メートルの地点(甲一一号証・福尾指示による見取図上〈2〉点)に達した時、被告福尾は前方の道路上に白線で横断歩道が表示されているのに気がつき、前方を注視したが道路左側には、同方向に歩いている人を発見しえたが、横断歩道付近には何ら人影は見えなかつたので、そのまま同速度で進行した。

ところが、横断歩道の手前一四・二メートルの地点(甲一一号証・福尾指示見取図〈3〉点)に達した時、右横断歩道を左より右へ向つて駆け足で横断している亡健治の姿を発見し、急ブレーキをかけ右へハンドルを切つたが間に合わず、同見取図X点にて衝突し、亡健治を同見取図の〈4〉点まではね飛ばし、自車は〈5〉点にて停止した。

(Ⅱ) 被告福尾車に同乗していた座喜昧清は、亡健治の姿を被告福尾よりわずかに早く目撃しており、その目撃状況によれば、「被告福尾車が横断歩道の手前約一〇メートルのところまで来たとき、道路左端(西)を北に向かつて、同方向に駆けている亡健治を発見した。亡健治は、道路左端を走つて行くなと思つていたら、急に道路左端より右(東)に向きをかえ、横断をして来た」というのである。

(Ⅲ) 右事実から判断するならば、第一原因となつた事故については、亡健治が本件道路左側を駆けて来て、横断歩道入口にて全く右方の安全を確認することなく、被告福尾車がすでに一〇―一四メートルに接近しているにもかかわらず、そのまま横断歩道に駆け込んだため発生した事故というべく、その過失は極めて大きいというべきである。

他方被告福尾にとつてみれば、時速四〇―四五キロメートルにて走行し、前方に横断歩道が存在することは十分了知し且、人影に注意もしていたが、横断歩道手前一〇―一四メートルに至り急に亡健治が駆け出したのであるから、右速度における制動距離が二〇メートル(空走距離を含む)であることに照らし、不可避に近い事故と言わなければならない。

よつて、亡健治の過失の大きさを斟酌するならば、原告らの損害の三割を過失相殺さるべきである。

(二) 第二原因となつた事故の状況

(Ⅰ) 本件第一原因となつた事故発生後、被告福尾は一旦〈5〉点(甲一一号証・福尾指示図、甲一三号証では〈2〉点)に停車したものの、後より名鉄バスが来ており、自車がバスの進行を妨げる状況にあつたので、亡健治をそのままにして、とりあえず道路右側にある寺の入口(甲一三号証・〈3〉点)に車を寄せ、下車して亡健治のところへ走つて行こうとした時、反対方向から来たセドリツク(被告鈴木運転)に再度轢かれるに至つた。

(Ⅱ) 被告鈴木は、本件道路を時速四〇キロメートルにて前照灯を遠目にして走行していたが、自車前方の注意を怠り、自車進路上を斜めに右より左に横断した福尾車の姿に気がつかず、しかも亡健治の姿を五・九メートル手前に至つて初めて気がつき、急ブレーキをかけたがすでに遅く轢いたものである。

事故後鈴木は、現場の見通し状況について実験をしたが、亡健治の倒れている姿は、二六・九メートル手前においても発見しうることが判明した。

(Ⅲ) 右事実より判断すれば、第一事故発生後第二事故発生までの間には被告福尾が甲一三号証〈2〉点より〈3〉点へ車を動かし、下車し、走り出すまでのかなりの時間の経過があつたことは明かであり、従つて被告鈴木においては、前方さえ注視していれば早期に事故発生を知り得たはずといわなければならない。

よつて被告鈴木については、自賠法第三条但書の適用さるべきでない。

第二 少年の逸失利益算定について

原告はその準備書面にて、「現在、多くの判例の決めている少年の逸失利益が余りに低くすぎる」「一〇才を超えた少年の生命が、一〇〇〇万円を下廻るとすれば『生命の尊厳』も『人権の尊重』もすべて言葉だけのものになる」と少年(幼児等未就労者)の逸失利益の高額化を主張された。

なるほど、交通事故において人間の生命が安易に失われている現状は悲惨であり、かかる現在、人間の生命の尊さを問い直さなければならないことについては、被告も全く異論はない。

しかしながら、「生命の尊厳」「人権の尊重」即「損害賠償額の高額化」であつたり、「人間の生命の価格」即「損害賠償の額」であるという、原告の発想には賛同しかねる。

人間の価値をいうならば、決して金銭的に評価しうるものではなく(評価してはならないものであり)又、各人平等というべきである。

今ここで問題として指摘さるべきことは、人間の生命がいかに尊厳であるかなのではなく、不幸にも尊い人命が失われた時、残された遺族にいかなる損害を生じ、これにいかなる経済的補償をするのが公平かということである。

(一) 逸失利益賠償の目的

右のように考える限り、単に逸失利益といわれていても、就労者が死亡した場合のそれと、未就労者たる未成年者・幼児が死亡した場合のそれとは、全く性格を異にすると言わざるを得ない。

即ち、就労者が死亡した場合には、その逸失利益はその者の収入の下で生活していた者について、現在の生活状態を維持させるを目的とするから、原告の主張する逸失利益の高額化も妥当するのであるが、少年等未就労者の死亡の場合の逸失利益は、現在の生活状態の維持を目的とするのではなく、両親が養育費を支出し、幼児・少年をここまで育てあげたことが無駄になつたことと、その両親が扶養を期待しえなくなつたことによる損失の填補を目的とするはずである。

ところで、現在の判例においては、右の就労者・未就労者いずれの場合においても相続説を採用している訳であるが、しかし、相続構成をとるにしても、ここに「相続」とは実質的に見るならば、幼児の逸失利益ということと、賠償請求権を遺族に帰属させるということ、とを結びつけるパイプにすぎないのであるから、ここに実質的な賠償請求権者たる遺族にとつて、填補さるべき損害は、どのようにして算定されるべきか検討しなければならない。

(二) 幼児少年の逸失利益算定の方法について

原告は、「人間の価値」即逸失利益の高額化を叫び、少年等未就労者の場合においても、一八才時の平均初任給もしくは全労働者平均賃金ではなく、「死亡時における各年令別平均賃金の総和」にて(従つて高年令になるに従つて高額化して)算定すべきと主張する。

(Ⅰ) しかしながら幼児少年の逸失利益の持つ意味が相続構成をとりつつも実質的な損害は両親の扶養期待権の侵害にあるのであるから、右原告の主張は妥当でない。

即ち、社会常識から考えるならば、死亡時少年であつた者は事故に遭遇しなければ、一八才~二四才には稼働を始め当初は両親の家計にその収入の一部を入れ両親の扶養の期待にそうにしても、二五才~三〇才には新たな家庭を設けるのが通例(核家族化)であり、新家庭ができればその収入のほとんどが新たな生活単位たる新家庭に帰属するはずである。

従つて原告の主張するように、家庭を持つ就労者の場合と同様に高額の逸失利益を両親に帰属させるのは、公平な損失の補償という観点からは全く妥当性を欠くというべきである。

(Ⅱ) 幼児もしくは少年等未就労者の逸失利益算定については最高裁昭和三九年六月二四日判決は「統計等を利用して控え目に」算定すべきと判示した。

右判旨が特に「控え目に」とことわつたのは、就労者の場合と異り未就労者の場合には将来いかなる学歴を経ていかなる職業に就くか不確定な要素が極めて大であることに鑑み、右蓋然性に疑いあるときは算定額を控え目に算出すべきとの趣旨である。

右趣旨に照らせば、被害者が一三才の少年であり将来の学歴・職業等において予測不可能である本件事案においては、原告の主張の如く「各年令別平均賃金の総和」をもつて、その逸失利益算定の基礎とするのは右不確定予測不可能な要素のうちプラス要因のみを採用しマイナス要因を無視した極めて不当な結論といわなければならない。

ちなみに、就労者についてさえ判例は原則的には死亡時の給料を固定する方式で算定してきたのであり、最高裁昭和四三年八月二七日判決も「証拠に基づいて相当の確かさをもつて推定できる場合」に限つて例外的に、「昇給の回数金額を予想しうる範囲で控え目に見積つて………収入額を算出することも許されると解すべきである」と判旨しているにすぎない。

従つて右就労者よりはるかに不確定要素の多い少年につき、原告の主張の如き実質昇給を加味した算定方法を採用することは右判例の趣旨にも反することとなる。

(Ⅲ) 尚原告が最も理想的な算定方法と主張する「各年令別平均賃金の総和による説」に立つた判例として引用している判例時報五二二号所収釧路地方裁判所帯広支部事件について言えば、同判旨は一方において「各年令別平均賃金の総額」を以つて収入とするが、他方において「その得べかりし利益は被害者は二四才まで独身で収入の八〇%を生活費として費消し、満二五才より満二九才までの間は配偶者はあるが子はなく、その後は配偶者の他に満一八才まで扶養すべき子が二人あるものとして、『扶養家族の消費単位指数』を適用して、生活基準及び残存利益率を算出したうえ、この残存利益率を前記各年間給与額を乗ずることにより算出すべきである」と、プラス要因のみならずマイナス要因についても積極的な認定を試みていることを指摘しておかねばならない。

(三) 養育費・教育費の控除について

(Ⅰ) 原告等は、健治の死亡により同人が生存していたならば扶養義務者として原告らが当然支出すべきはずの養育費・教育費等の支出を免れたのであるから、これに相当する金額は原告らの損害額からそれぞれ控除さるべきものである。

逸失利益相続説による限り「損益相殺により差し引かれるべき利得は被害者本人について発生したものであるところ、養育費等の支出を免れた利得は被害者本人について発生したものではないから賠償額から控除さるべきではない」との説もあるが、前述のとおり相続説によるか扶養説によるかは賠償額算出の一手段に止り、現実に賠償を受けるのは遺族なのであるから被害者死亡により遺族が支出を免れた以上相続した逸失利益賠償額からこれを控除するのが衡平の観念にあう(東京地判昭四四・二・二四・判例時報五五〇号五〇頁)又「養育費の出資は労働能力形成のための不可欠投下資本というべきものであるから、これが現実負担者賠償請求権者の如何にかかわらず逸失利益より控除さるべきである。」(東京地判昭四六・五・二九・判例時報六三五号一二八頁)

(Ⅱ) 右相殺さるべき養育費等の金額は経験則に照らし就労可能年令に達するまでの間平均月額一万円を下らない。

右金額を基礎にして、原告らが亡健治が一八才に達するまでに支出したであろう総額の現価を後記のようにライプニツツ方式にて算出すると金五一万九、四八〇円を下らないというべきである。

よつて原告らは金五一万九、四八〇円の支出を免れたことになるから原告らの損害額から右五一万九、四八〇円を控除さるべきである。

(四) 中間利息控除について

中間利息の控除については本件の如く就労可能年数が長期にわたる場合はライプニツツ方式が採用さるべきである。

理論的には今日賠償を受けた金を年五分の複利で運用し就労可能な年令に達してから所定の年金を受け取り就労最終年限に達した時元金がゼロになるという、いわゆる年賦償却の方式によるべきでありこれはライプニツツ方式によらなければならない。

ホフマン方式によるならば、三六年間の累計に対する年五分の利息は年金を上廻り、しかも三六年後には元金全部が残るという不合理な結果に陥るからである。(千種達夫・ジユリストNo.四三一)

ちなみに近時東京地裁にては、幼少者の死亡による逸失利益の現在価格計算につきライプニツツ方式を用いる判例が続出している。(東京地判昭和四六・五・六、同昭和四六・五・二九・判例時報六三五号)

第三 結論

以上の次第であるから、被告には既に自賠責保険より支払われた四九六万一、一四一円の外は本件事故に関して支払うべき債務が存しないから本訴請求は棄却さるべきである。

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別紙図面

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